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BUZEN【心と思考を磨く】靖国神社.1~唯一、神と言う柱が存在しない神社

執筆者の写真: buzen03buzen03

更新日:2023年9月7日

亡き人達に捧ぐ、人柱となった者達よ安らかに眠って下さい。

靖国神社

 天皇を隠れ蓑とし/天皇の背に隠れ、下級武士たちが藩閥政府を樹立した国。欧米列強やロシアからの侵略をくい止めるべく貧しい国日本を守る為と国民を食わせる為/産業・職種増強と食料確保に歩んだ明治、大正、大東亜戦争敗戦の昭和までと言う時代背景。

参)日本国内で白米が各地域の隅々まで流通し、一般国民が手に入れる事が出来る様になったのは、1965年/昭和40年代に入ってからのことである/つい最近の出来事。

ちなみに、国内で日本語が通訳なしで会話出来るようになったのは、おおよそ1989年/平成になってからである(共通語)。


 西郷隆盛翁が反乱を起こしたとされる西南戦争、この戦争の終焉と共に武士の時代が終わったと国民が感じ、大東亜戦争の敗戦で軍部が解体/完全消滅し、生き残った国民が命を失うことが無いと感じた時代。これらは今でも続いている明治維新の負の遺産の一部である。注)帝都に本部を置いていた大本営は、動物にも例えられない程の双頭の役立たず本部:海軍と陸軍で面子に拘る勢力争いの成り上がり揃い。例えるなら、成金思考の豊臣秀吉程度。勘違いするな!羽柴秀吉ではない。


 大東亜戦争に負けたことは感情として悔しい、がしかし、甚大な犠牲をはらってしまったが、軍部が完全消滅したことは喜ぶべき事である。日本がアジア諸国を侵略と言われるが、勝利した国々は、つい最近まで侵略し続けていたのではないか。そして今でも支配下に置いているのは事実である。それらの国々に何故反論しないのか、甚だ疑問である。

参)白人思考の自己都合の論理/有色人種は知能が劣り人間に非ず。だから支配し、支配されるのが当たり前=宗教者の刷り込み=異教徒は人間に非ずや他の動物は、人間の食料の一部となる為に神が与えた人間の所有物、だから管理や屠殺するのは当たり前。


 靖国神社は、東京都千代田区九段北にある神社。慶応4年(1868年)以降、戊辰戦争・明治維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが活発になり、そのための施設である招魂社創立の動きが各地で起きた。それらを背景に明治天皇の勅令によって明治2年(1869年)に建てられた招魂社に起源を発した。ウィキペディアより引用。

これらの行動は、古くから日本各地にみられるもので、権力者による強制ではなく、公に何が大切なのかと言う民の自発的な行動である/これらの行動が民主的行動=民主主義の原理でもある。


 そして、当時の世界情勢/侵略覇権主義(欧米列強やロシア)を意識し招魂社は、1872年(明治5年)、国民を誘導しやすいように政府と同様、天皇の背に隠れ(権威や統率力が無い故に)陸軍省と海軍省が共同で所管する事になった。その後、明治12(1879)年6月4日、太政官達(だじょうかんたっし)によって東京招魂社は靖国神社と改称することになり、歴史上の「忠臣」たちを祭神とする別格官弊社に列せられて、専任の神官(宮司)を置くことになった。その後、各地にある招魂社は護国神社と名を改めた。

 おおよそこの時から庶民の末端に至るまで、地理学的に/一般的に、北海道から沖縄まで日本として国家というものや日本国民と言う意識が芽生えたと思われる。


 靖国神社、他国から非難される謂われ無い。

 中華人民共和国:悪行を働いたとする歴史上の人物の像をわざわざ作り、その像に自慢げに唾を吐きかけると云う古くからの風習/奨励が最近まで行われていた。各国からの観光客を受け入れるようになってから批判を恐れた共産党政府が封印。朝鮮人に至っては、伝統的に殺された側が悪い場合でも、親や親族の仇を討たない事は罪とされ、たとえ仇とする者が死んでいても、その者の墓から亡骸を掘り出し首、両腕、胴、両足をばらばらに切断して唾を吐きかけ晒し者にするという風習があった。

参)人民と名の付く国家、そこには国民は存在せず。人民とは権力者一個人の支配下/所有物とされる人達=人民≠国民となる。


続く


Comments


絵士〆無然 BUZEN03

無然 / BUZEN03

    国粋主義は国を滅ぼし、グローバリズムは国を衰退させる。

    アートと思考とこの国と、日本人としての生きるヒントに成れば幸いです。​

    ​​尚、掲載文に関しては下書き無しで書いておりますので、随時編集する場合があります。

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